丸ボーロ marubolo [佐賀市] 鶴屋菓子舗 堤光昌さん

佐賀平野の小麦を使い、一般のご家庭にもある材料で作っています。

何の変哲もないかもしれませんが、ただ、卵だけで柔らかさを出したり、練り具合で柔らかさを調整したりと、生地にはこだわりを持っています。牛乳や水などは一切使っていませんので、生地には粘り気があり、機械には通せません。そのため、一つひとつを手作りで丹誠込めて作っています。

名前も製法も、正真正銘の南蛮渡来

【丸房露330年の歴史】

ポルトガル語で「ケーキ」を意味する「ボーロ」の文字を、その名に冠する「丸ボーロ」。

日本に伝来したのは17世紀後半。ポルトガルの菓子をオランダ人や中国人から学んだのが始まりだったそうで、寛永十六(1639)年創業の「鶴屋菓子舗」さんには、二代目の太兵衛が長崎街道を通り、長崎でオランダ人より学んだと伝えられています。

【時代とともに進化する味】

鶴屋370年の歴史と佐賀のお菓子の歴史が凝縮され、近頃現代語に翻訳された「鶴屋文書」によれば、当初の丸ボーロは、白砂糖、麦粉、胡麻油、唐あくのみで作られていたとのこと。現在のものよりも堅く、船員の保存食であったとも考えられています。

それが19世紀後半になり、材料に卵が使われ始めると、現在のような食感、味わいに近くなったのだとか。

【長崎街道の役割】

歴史の中で、様々な試行錯誤やアレンジがあった背景を、「鶴屋」十四代堤光昌さんは「佐賀という地は、佐賀平野が広がっていて良質の小麦粉はとれるし、長崎街道も通っていて材料には事欠かなかったのではないでしょうか。だから、色々なアレンジができたのだと思います」と語ってくれました。

確かに、丸ボーロが、かつての保存食(主食)からお菓子(嗜好品)へと変化するには、思い切ったアレンジが必要だったのかもしれません。そして、それを可能にした要因の一つに長崎街道があるとすれば、それがお菓子の文化に果たした役割は、やはり大きかったと言えそうです。

【蘇った幻の菓子「ケシアド」】

アレンジといえば、もう一つ。「ケシアド」というお菓子も、当時の菓子職人の工夫が生きたお菓子です。

ポルトガルではチーズのお菓子として有名ですが、当時の日本ではチーズをカボチャの餡で代用していたとか。これも「鶴屋文書」に記載されていますが、現代語に翻訳されて初めて詳細がわかりました。これまでは幻のお菓子とされていましたが、「鶴屋」さんでは文書を基に、現代風にアレンジして復刻。丸ボーロ同様、こちらも是非お楽しみください。

丸ボーロづくり
丸ボーロづくり

丸ボーロづくりは全てが手作業。

肥前ケシアド

「肥前ケシアド」。チーズの香りとカボチャ餡の風味が絶妙のマッチング。


(取材協力/鶴屋菓子舗)